じんの読書ノート

まぁ、とりあえず本でも読みましょうか。

【116】木下 昌輝『天下一の軽口男』

天下一の軽口男

男は笑いに生き、笑いに死んだ! 男の名は〝米沢彦八″――上方落語の始祖にして、日本初のお笑い芸人。笑いを商売に変えるために生きた、ぼんくら男の一代記!!

何故人を笑わすのか? 人は何故笑うのか?
笑いを商売に変えるため、男は血を吐く思いで立ち向かった。
そして、栄光と挫折を味わった男の芸は文化となった。
時は江戸時代中期。大坂の生国魂神社の境内には、芝居小屋や見世物小屋が軒を連ね、多種多様な芸能が行われていた。笑話の道を志した米沢彦八は、役者の身振りや声色を真似る「仕方物真似」、滑稽話の「軽口噺」などが評判を呼び、天下一の笑話の名人と呼ばれ、笑いを大衆のものとした。彦八は何故、笑いを志し、極めようとしたのか? そこには幼き頃から心に秘めた、ある少女への思いがあった――。

 

「天下一のお伽衆」の異名を誇り、『醒睡笑』の著書である安楽庵策伝和尚に弟子入りすべく、飛騨高山から大坂へ虎丸はやってきた。醒睡笑はもちろん、四書五経孫子韓非子呉子を暗誦するほど読み込んできたという。戸惑う策伝和尚。虎丸以上に、策伝の『醒睡笑』を愛する者などいない。策伝の懐に入るなど、虎丸にとっては容易いことだった。まんまと弟子入りを果たす虎丸に策伝はこう言う。

「儂はな、笑いで人を救いたいんや。日々の暮らしに疲れた民の顔に、ほんの一時かもしれへんけど、笑いという花を咲かせたい。そうすることで苦しみや痛みを、しばし忘れてもらうんや」(p.22)

 

二代目安楽庵策伝を名乗ることになった虎丸は難波村で彦八と出会う。虎丸が持っている初代安楽庵策伝の書いた『真筆 醒睡笑』を盗み見ようとする彦八。

「笑わせたい子がおるねん」

「どういうことだ」「彦八とやら、つまりお主は、その里乃と申す娘を、笑いで救ってやりたいのじゃな」「よう言ってくれた。苦しみを笑いで和らげる。これこそが、我が師・初代安楽庵策伝和尚の悲願でもあった」(p.81)

 

しゃべり下手な二代目安楽庵策伝に彦八はこうアドバイスする。

「笑いは剣術と一緒やねん。面を打つ時、『今から面打ちまっせ』って言わんやろ。おっちゃんがやってることは、それと同じやねん。今から面白いこと言いますって、体全部使って、白状してもうてるねん。それじゃ、誰も笑わへん」

「じゃあ、どうすればいいのだ。まさか、つまらなそうにしろというのか」

「そう、ようわかってるやん」「あんなぁ、楽しそうな雰囲気出して笑かすのって、実はめっちゃ難しいんやで。笑いの基本は、一本調子に喋ることや。できるだけ抑揚なくして、顔も無表情にすんねん」「あと、話の間合いも変にためたらあかん。これも、前振りと同じ調子で喋らんと。焦るでなく、ゆっくりでなく、一本調子でええねん」

ふと、思い出すことがあった。師である安楽庵策伝の姿だ。なんでもない普通の顔で呟いた師の言葉に、何度も笑わされたことがある。彦八の言っていることと、師のやっていたことが割符のように一致した(p.94)

 

 二代目安楽庵策伝と再会を果たしの『真筆 醒睡笑』を手にする彦八。

手に馴染んだ『真筆 醒睡笑』を開く。

現れたのは、白紙の頁だった。丁寧に一枚一枚めくる。一筆一文字たりとも書かれていない。〈己の独自の芸を開拓せよ。〉

「彦八、お前の著した『軽口男』こそが、『真筆 醒睡笑』に他ならぬのじゃ」(p.304)

 

こういうパターンよくあるわぁ。『カンフーパンダ』もそうだった。