読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

じんの読書ノート

まぁ、とりあえず本でも読みましょうか。

【100】太宰 治『人間失格』

人間失格【新潮文庫】 (新潮文庫 (た-2-5))

人間失格【新潮文庫】 (新潮文庫 (た-2-5))

 「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。 (「BOOK」データベースより) 

 中学生の頃に読んだ時の衝撃は今でもハッキリ覚えているんです。なんていうか、心臓に電気ショックを与えられたような「痛み」でした。こうして何十年ぶりに読み返してみると、あの時の「痛み」は感じなくなりましたが、また違った感覚がしますね。
 
 やはり葉蔵は太宰治自身なのでしょうね。葉蔵の破滅の精神は大富豪の家の六男坊として育てられた太宰自身の余計者意識と重なります。偉大な父や礼儀正しい兄たち、所謂(いわゆる)「世間」とは生れながらにして一線を画す人生。太宰は葉蔵に自分自身を投影しました。
 
 睡眠剤ジアールの大量摂取による自殺未遂を起こす葉蔵。
三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見なして、警察にとどけるのを猶予してくれたそうです。覚醒しかけて、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言葉だったそうです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。(p.134)

 「うち」とは、つまり、「あの頃の自分」なのではないでしょうか。彼は道化者としてみんなを欺いていたあの頃の自分に戻りたかったのです。自分を偽ってきた自分自身との葛藤や苦悩こそが人間の業であり、モルヒネ中毒に堕ち廃人になった自分は人間失格なのです。

 本文の最後の四行。
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」何気なさそうに、そう言った。「私たちのしっている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・神様みたいないい子でした」(p.155)
 京橋のバアのマダムと葉蔵の例の三葉の写真と三冊のノートを受け取った作家との会話から、葉蔵(太宰治)をダメにしたのは父親(世間)だとしている。
 
きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。(p.149)
 エンディングにこの描写をもってくる太宰治
 彼にとっての人生は喜劇だったのでしょうか。