じんの読書ノート

まぁ、とりあえず本でも読みましょうか。

【99】立花 隆『ぼくはこんな本を読んできた』

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

 「同テーマの類書を読め」「自分の水準に合わぬ本は途中でも止めろ」「?と思ったらオリジナル・データにあたれ」…、実戦的読書のためのアドバイスから、書斎・書庫をめぐるあれこれ、そして驚異的な読書遍歴を物語る少年時代の作文まで。旺盛な取材、執筆活動の舞台裏と「知の世界」構築のためのノウ・ハウを全公開する。 (「BOOK」データベースより)

 立花隆さんの凄まじい知的欲求に驚愕。「知の巨人」の読書遍歴はやはりモンスター級。「芸のためなら女房も泣かす〜」と昔の歌にありましたが、立花さんの場合「読書のためなら会社も辞める〜」です。

いわゆる世の中の人が楽しみにしていることが、僕にはぜんぜん楽しくないんです。勉強しているときがいちばん楽しいんです。遊びたいという欲求より、知りたい、勉強したいという欲求のほうが、はるかに強いわけです。(p.21) 
たとえば「脳研究最前線」のために、どれくらいの資料を読んでいるかというと、だいたい大型の書棚一個半ぐらい、本だけでそれぐらい読んでます。(中略)1テーマ500冊くらい読んでいることになります。(中略)インプットとアウトプットの比率は、少なくとも100対1くらいになると思います。(p.22)
とりあえずノンフィクションの本を、ともかく面白そうなものを片っ端から買ってきて読みはじめたわけです。(中略)それを読んでいるうちに、文学者の想像力というのは、生きた現実に比して、いかに貧困かということがわかり、どうして、ああいうつまらないものに、あれだけ熱中できたんだろうと逆に思いはじめたわけです。(中略)そういう眼の前のリアルなナマの現実のすさまじさに圧倒される形で、私は結局文学離れをしていったんだろうという気がします。(p.47)
文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくるという世界でしょう。表面だけでは見えないものを見ていくのが文学だもの。それから、もうひとつ読書、それも文学を読むことで得られる大事なことは、それによってつちかわれるイマジネーションですね。(p.135)
それはね、やっぱりどれだけ追われているかですよ。単にこれからこの分野を勉強するぞなんて思っても、それはなかなか難しいですよね。明日はこの人に会ってこの話を聞くんだとか、論争になって次の締め切りまでに相手をやっつけないといけないということになると、必死で勉強するわけですよ。(p.159)
僕はね、若い時に人が推薦するような本を読んで、よかった記憶ってないんです。つまらない引っ張られ方をしたな、という後悔しか残らなかった。結局、本との出会いは自分でするしかないんです。本当に本が好きな人は、自分で見つけますよ。(p.169)