【57】齋藤 孝『読書力』
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/09/20
- メディア: 新書
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本を読むことの意味は何?案外答えにくい問いに、「読書によって…の力がつく」という形で考え、コミュニケーションの力、人間を理解する力との関わりを示します。自分をつくり、鍛え、広げることが、読書とどう結びついているかを述べて、あらためて読書の本質を見つめます。心に残るフレーズ、工夫の手がかりも満載です。 (「BOOK」データベースより)
何のために読書をするのか。読書をすると何がよいのか。こうした問いに対する私の答えは、たとえば、読書は自己形成のための糧だからであるというものであったり、読書はコミュニケーション力の基礎となるからだ、といったものである。(p.4)
読みたいときに読みたいだけ読むがいいさ。
書かれた言葉を苦にせずに読めるという「技」が、自分の世界をとてつもなく広げてくれるのである。(p.17)
書かれた言葉を苦にしながら読む人は読書などしない。よほどのMか。
読書は「知能指数」でするものではない。むしろ、本を読んだ蓄積でするものだ。その意味では、長距離のランニングや歩行に似ている。取り立てて足が速い必要はない。毎日走って、少しずつ距離を伸ばしていけば、かなりの人が長距離のランニングに耐えることができるようになる。運動神経がよい人でも、長距離走の練習を日々積んでいない場合には、練習を積んできた素質の低い人よりもパフォーマンスは低くなる。読書は、まさに「継続は力なり」がリアリティをもつ世界だ。(p.29)
本を読むのに慣れてりゃ速くもなる。
日本では、大量の読書が、いわば宗教による倫理教育の代わりをなしていたと言えるのではないだろうか。倫理観や志は、文化や経済の大元である。素晴らしいものを作りたい、世の中をよくしたいといった強い思いが、文化や経済活動を活性化させる。その大元になるある種の倫理観や人間理解力を、日本人は多量の読書を通じて培ってきたと言える。(p.47)
本を書いてる人は神様じゃない。
本を買ってくれるお客様が神様です。←三波春夫先生曰く
人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて育まれる。身の回りに優れた人がいるとは限らない。しかし、本ならば、現在生きていない人でも、優れた人との話を聞くことができる。優れた人との出会いが、向上心を刺激し、人間性を高める。(p.59)
それこそ読み取る側の読書力が問われます。
こちらから積極的に本を読まなければ、向こうからは来てはくれない。(p.62)
たしかに本の押し売りはこない。
声に出して読むと脳は活性化しやすい。(p.126)
やってみればわかるが、音読をすると注意力が高まるし、黙読では読み過ごしてしまいそうな言葉も読み飛ばすことがない。それに、読めない漢字がどれか明らかになり、ごまかしがきかない。これはオススメ。
速読はできるに越したことはないが、速読できなくとも構わないと私は考えている。全頁を素早く読みつづける技術よりも、本の中で大切なところがどこかを判断できる方が大切だ。(p.146)
大切なところが見つかったら、誰かこっそり教えて下さい。
本は必ずしも全部読まなければいけないというものではない。ほんの一行でも一生の宝物になることもある。全部読み切らなければいけないと思うから、読書がすすまなくなる。印象に残る一文を見出すという意識で読むのも、読書を進みやすくするコツだ。(p.199)
全部読まずに印象に残る一文を見出すには、今の僕にはまだ読書力が足りてない。
本をフロム・カバー・トゥー・カバーという形で全部読み通さなければ納得しないという考えを捨てることによって、本との距離はぐっと近づく。(p.200)
↑この文章は読み飛ばさなくてよかったです。