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じんの読書ノート

まぁ、とりあえず本でも読みましょうか。

【46-2】司馬 遼太郎『竜馬がゆく(二)』

竜馬がゆく〈2〉 (文春文庫)

竜馬がゆく〈2〉 (文春文庫)

 

黒船の出現以来、猛然と湧き上ってきた勤王・攘夷の勢力と、巻き返しを図る幕府との抗争は次第に激化してきた。先進の薩摩、長州に遅れまいと、固陋な土佐藩でクーデターを起し、藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に、限界を感じた坂本竜馬は、さらに大きな飛躍を求めて、ついに脱藩を決意した。 (「BOOK」データベースより)

   安政5年。竜馬は24歳になった。当時の日本は開国と攘夷、幕府と朝廷、将軍継嗣問題などで騒がしかった。武市半平太西郷隆盛桂小五郎吉田松陰・・役者は揃い始めた。時代は動いている。しかし、竜馬はまだ動かない。

   井伊直弼大老になった。今でいう総理大臣だ。開国論の井伊に対する勢力は尊王攘夷論の水戸斉昭。徳川慶喜の実の父である。 斉昭の子分が松平春嶽島津斉彬、それと土佐藩主の山内豊信。対立が悪化して安政の大獄へ。まだ竜馬は動かない。それどころか、お田鶴さまの寝床には動く。

   竜馬、ようやく学問に目覚める。が、考え方や行動が独創的すぎる。当時の学問とは倫理、宗教にちかいもので、要するに儒教だ。孔子の教えに反かぬよう、倫理道徳、みなおなじ型の人間をつくるのが最高の理想なのだ。せっかく型破り生まれついてきた竜馬が、腐れ学問でただの人間になってしまうのは惜しい。しかし、学問をせねば、人と議論をしたり、考えたりするときに、用語が少なくてこまるのだ。武市は竜馬に歴史を学ぶことをすすめる。が、竜馬は世界が知りたかった。万里の波濤を蹴ってこの極東の列島帝国まで黒船を派遣してくる西洋とはどんなところなのか。万次郎の漂流記を書いた絵師の河田小竜に会う。

「のう坂本さん、西洋と対抗する第一は、まず産業、商業を盛んにせねばならぬ。それにはまず物の運搬が大事であり、あの黒船が必要じゃ」「よし、その黒船をなんとか都合しよう」(p.188)

   他にもねずみに似た蘭学者に人民の幸福のための政治や憲法の存在を教わる。竜馬のこの時の感動が、日本の歴史を動かした。

   土佐藩は薩摩や長州と同じように勤王倒幕主義とされているが、藩主、家老、上士などの上層部は頑固な佐幕(幕府を補佐する)論者で、倒幕派の軽格連中は藩の上層部と闘わねばならなかった。

   大老井伊直弼桜田門外で殺されてから、藩士たちが幕府から受けていた畏怖感や重圧感はこの時から解き放たれ、一気に明治維新へと加速する。軽格連中が幕府や藩そのものを軽侮し始めたのだ。

   そして、武市半平太土佐勤王党を立ち上げる。土佐藩を変えるには藩政を握る吉田東洋を殺すしかないと鼻息も荒い。

「半平太、いっそ、こんな腐れ藩など見捨ててしまえ。藩ぐるみ勤王などはどだい無理じゃ」(p.308)
「お前は山賊になれ。わしは海賊になる。山海呼応して天下をゆるがせば、おいおい天下の士があつまってきて、武力さえできれば、土佐藩も自然くっついてくる」(p.309)
「藩体制を崩さねば事ができぬ、とおもっている。やれ譜代だの格式だの、そんなことばかりで動いちょる侍の組織では、何事もできん。たとえば吉田参政を殺してお前の陰謀が成功したとしても、殿様ちゅうものがもう一つ上にある。その御意向次第でいっぺんに崩れてしまうではないか。さればしまいには殿様まで殺さにゃならんようになる」(p.309)

   幕府を倒す実力と熱意があるのは長州藩だと竜馬は思っている。幕末にこの藩は極端な過激主義となり、政治的に暴走をかさね、ついに歴史を明治維新にまで追いあげる。藩祖は毛利元就。ある意味、歴史の天下人だ。毛利家は江戸初期にすでに産業国家にきりかえている。製紙、製蠟という軽工業や新田を開発し、幕末には百万石の富力をもつ。よって長州藩は富で洋式軍隊にきりかえ、薩摩藩とともに、幕府に対抗する二大軍事勢力となる。「徳川討つべし」という毛利300年の反徳川感情は、尊王攘夷という姿にかわって、若い藩士のあいだで再燃した。その火つけ役が吉田松陰だった。

   竜馬が長州についたときには松陰はこの世にいない。一番弟子の久坂玄瑞と会う。竜馬より5つ年下、火のような性格と実行力があったが竜馬と会った2年後の蛤御門の変で戦死する。尊王攘夷の狂信者、ただそれだけの印象だった。

「なあ、坂本さん。たがいに脱藩して、天下に志士を募ろうではないか」(p.382)

   時代が慌ただしくなってきたこのころ、薩摩の島津久光が大軍を率いてクーデターを起こす動きがあるという。島津の命をうけ大久保利通が京都で活動していた。京都の天皇や公卿をおどしあげる。「幕府は腰がぬけている。これ以上、かれらに政治を、まかせておけば、いよいよ外夷が増長して、国がどうなるかわからない」

   竜馬は脱藩する。土佐藩を捨てて、広い天下に躍り出たいのだ。「志のために野末でのたれ死するのは男子の本懐じゃと思うちょります」

   土佐藩参政吉田東洋が、武市半平太率いる土佐勤王党に暗殺されたのは、文久2年4月8日、竜馬が脱藩して14日後のことである。