じんの読書ノート

まぁ、とりあえず本でも読みましょうか。

【101】村上 春樹『スプートニクの恋人』

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。―そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・ストーリー。 (「BOOK」データベースより)

 

現実と夢のはざまで「ミュウ」と「すみれ」と「ぼく」はそれぞれ失ったものを探し求める。そしてそれはもう二度と戻らない。どこまでいっても満たされない喪失感漂う不思議な作品ですね。

【100】太宰 治『人間失格』

人間失格【新潮文庫】 (新潮文庫 (た-2-5))

人間失格【新潮文庫】 (新潮文庫 (た-2-5))

 「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。 (「BOOK」データベースより) 

 中学生の頃に読んだ時の衝撃は今でもハッキリ覚えているんです。なんていうか、心臓に電気ショックを与えられたような「痛み」でした。こうして何十年ぶりに読み返してみると、あの時の「痛み」は感じなくなりましたが、また違った感覚がしますね。
 
 やはり葉蔵は太宰治自身なのでしょうね。葉蔵の破滅の精神は大富豪の家の六男坊として育てられた太宰自身の余計者意識と重なります。偉大な父や礼儀正しい兄たち、所謂(いわゆる)「世間」とは生れながらにして一線を画す人生。太宰は葉蔵に自分自身を投影しました。
 
 睡眠剤ジアールの大量摂取による自殺未遂を起こす葉蔵。
三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見なして、警察にとどけるのを猶予してくれたそうです。覚醒しかけて、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言葉だったそうです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。(p.134)

 「うち」とは、つまり、「あの頃の自分」なのではないでしょうか。彼は道化者としてみんなを欺いていたあの頃の自分に戻りたかったのです。自分を偽ってきた自分自身との葛藤や苦悩こそが人間の業であり、モルヒネ中毒に堕ち廃人になった自分は人間失格なのです。

 本文の最後の四行。
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」何気なさそうに、そう言った。「私たちのしっている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・神様みたいないい子でした」(p.155)
 京橋のバアのマダムと葉蔵の例の三葉の写真と三冊のノートを受け取った作家との会話から、葉蔵(太宰治)をダメにしたのは父親(世間)だとしている。
 
きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。(p.149)
 エンディングにこの描写をもってくる太宰治
 彼にとっての人生は喜劇だったのでしょうか。

【99】立花 隆『ぼくはこんな本を読んできた』

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

 「同テーマの類書を読め」「自分の水準に合わぬ本は途中でも止めろ」「?と思ったらオリジナル・データにあたれ」…、実戦的読書のためのアドバイスから、書斎・書庫をめぐるあれこれ、そして驚異的な読書遍歴を物語る少年時代の作文まで。旺盛な取材、執筆活動の舞台裏と「知の世界」構築のためのノウ・ハウを全公開する。 (「BOOK」データベースより)

 立花隆さんの凄まじい知的欲求に驚愕。「知の巨人」の読書遍歴はやはりモンスター級。「芸のためなら女房も泣かす〜」と昔の歌にありましたが、立花さんの場合「読書のためなら会社も辞める〜」です。

いわゆる世の中の人が楽しみにしていることが、僕にはぜんぜん楽しくないんです。勉強しているときがいちばん楽しいんです。遊びたいという欲求より、知りたい、勉強したいという欲求のほうが、はるかに強いわけです。(p.21) 
たとえば「脳研究最前線」のために、どれくらいの資料を読んでいるかというと、だいたい大型の書棚一個半ぐらい、本だけでそれぐらい読んでます。(中略)1テーマ500冊くらい読んでいることになります。(中略)インプットとアウトプットの比率は、少なくとも100対1くらいになると思います。(p.22)
とりあえずノンフィクションの本を、ともかく面白そうなものを片っ端から買ってきて読みはじめたわけです。(中略)それを読んでいるうちに、文学者の想像力というのは、生きた現実に比して、いかに貧困かということがわかり、どうして、ああいうつまらないものに、あれだけ熱中できたんだろうと逆に思いはじめたわけです。(中略)そういう眼の前のリアルなナマの現実のすさまじさに圧倒される形で、私は結局文学離れをしていったんだろうという気がします。(p.47)
文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくるという世界でしょう。表面だけでは見えないものを見ていくのが文学だもの。それから、もうひとつ読書、それも文学を読むことで得られる大事なことは、それによってつちかわれるイマジネーションですね。(p.135)
それはね、やっぱりどれだけ追われているかですよ。単にこれからこの分野を勉強するぞなんて思っても、それはなかなか難しいですよね。明日はこの人に会ってこの話を聞くんだとか、論争になって次の締め切りまでに相手をやっつけないといけないということになると、必死で勉強するわけですよ。(p.159)
僕はね、若い時に人が推薦するような本を読んで、よかった記憶ってないんです。つまらない引っ張られ方をしたな、という後悔しか残らなかった。結局、本との出会いは自分でするしかないんです。本当に本が好きな人は、自分で見つけますよ。(p.169)

【98】谷川 流『涼宮ハルヒの憂鬱』

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

 

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。そんなSF小説じゃあるまいし…と誰でも思うよな。俺も思ったよ。だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。それに気づいたときには俺の日常は、もうすでに超常になっていた―。第8回スニーカー大賞大賞受賞作。 (「BOOK」データベースより)

 

 気がつけばオレはキョンになっていた。おかげさまでどっぷりです。登場人物がそれぞれ魅力的ですね。SOS団の運命やいかに?!それは禁則事項です。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」【涼宮ハルヒ】(p.11)
「この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。それが、わたし」【長門有希】(p.119)
「わたしはこの時代の人間ではありません。もっと、未来から来ました」【朝比奈みくる】(p.145)
「ちょっと違うような気もするんですが、そうですね、超能力者と呼ぶのが一番近いかな。そうです、実は僕は超能力者なんですよ」【古泉一樹】(p.163)
「そうでしょうね。我々だって信じられなかった。一人の少女によって世界が変化、いや、ひょっとしたら創造されたのかもしれない、なんてことをね。しかもその少女はこの世界を自分にとって面白くないものだと思いこんでいる。これはちょっとした恐怖ですよ」(p.233)

【97】児玉 清『寝ても覚めても本の虫』

寝ても覚めても本の虫

寝ても覚めても本の虫

 大好きな作家の新刊を開く、この喜び!本のためなら女房の小言も我慢、我慢。眺めてうっとり、触ってにんまり。ヒーローの怒りは我が怒り、ヒロインの涙は我が溜め息。出会った傑作は数知れず。運命の作家S・ツヴァイク、目下の“最高”N・デミル、続編が待ち遠しいT・ハリスに、永遠の恋人M・H・クラーク…。ご存じ読書の達人、児玉さんの「海外面白本追求」の日々を一気に公開。(「BOOK」データベースより)

 児玉さんのせいで(おかげで)読みたい本が爆発的に増加したことに感謝。また眠れない夜が続きそうです。

児玉さんの愛してやまない作家さんたちの名をここに記しておきます。

   (敬称略)